岩崎弥太郎の名言14選と年表!三菱創始者の一言は深かった

岩崎弥太郎と言えば、「三菱財閥の創始者」と一言で片付けられてしまうかもしれません。

今も残る「三菱」は、後を引き継いだ代々の代表者の力ももちろんですが、その基盤を築いた弥太郎がいたからこそ。

まずは、どんな人だったのか、簡単にまとめてみました。

 

 

岩崎弥太郎とは?

1835年1月9日、今の高知県安芸市に生まれました。

この翌年の1月3日に同じ高知県内では、坂本龍馬が誕生しています。

岩崎弥太郎と聞いてもピンとこない人でも、坂本龍馬の時代を生きた人とわかれば、どんな人だったのか
知りたくなりませんか?

 

さて、話を戻し、この岩崎弥太郎とは、三菱財閥グループの創始者です。

どんな環境で生まれたかというと、土佐藩独特の身分と言われる「地下浪人」の岩崎弥次郎と、その奥さんである美輪との間に長男として生まれました。

 

敷地面積約30坪の家で、すくすくと育った弥太郎は、わずか14歳にしてその才能は認められていました。

その後に、江戸の僕塾に入塾し、その後の人生に大きな影響を与えています。

 

 

ただ、人生山あり谷ありということで、21歳の時に投獄された父のことを知って帰国しました。

その時に父の免罪を訴えたことによって、弥太郎自身も投獄され、遂には村まで追放されるはめに。

 

その父の投獄された理由、わかりますか?

お酒の席でのケンカだそうです。

 

お酒はほどほどにが大切ですね。

でも、やっぱり歴史に名を残す人物は違うんでしょう。

 

その後に入塾した小林塾での出会いが、のちの三菱財閥へと繋がっていくわけです。

その塾で政治家で実業家である後藤象二郎から認められ、1867年に藩の商務組織である土佐商会の主任&長崎留守居役に抜擢されます。

そして、認められた弥太郎は藩の貿易に携わっていくことになります。

 

その頃、脱藩が許された坂本龍馬と接点が生まれます。

龍馬は、亀山社中から「海援隊」へと改称した貿易結社の隊長になり、その時に経理を担当していたのが弥太郎でした。

その翌年に弥太郎が主任&留守居役をしていた土佐商会は、大阪へと移り、更に翌年に九十九商会に改称し、海運業に就くことになりました。

 

それから数年経ち、1873年に2隻の船で海運業を始めたのです。

それが九十九商会を改称した「三菱商会」になります。弥太郎個人が経営する個人企業のはじまりです。

後の郵便汽船三菱株式会社となり、終戦後に三菱本社は解体。

 

現在のそれぞれが独立した企業へと形を変え発展していったわけです。

その事業の多角化は、商人の才能を惜しみなく発揮した弥太郎だったからこそでしょう。

 

現在のその三菱財閥はというと、三菱鉱業が三菱マテリアル三菱造船が三菱重工業へと変わり、保険事業では東京海上日動火災保険に明治安田生命保険へ。そして三菱東京UFJ銀行も弥太郎の時代に設立されたものです。

わずか50歳までの生涯で、これだけの偉業を成し遂げたわけです。

 

そんな弥太郎はどんな名言を残しているでしょう。

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岩崎弥太郎の名言15選

1.「小僧に頭を下げると思うから情けないのだ。金に頭を下げるのだ」

なるほど。

今でいうインサイダー取引によって大金持ちになったと言われている弥太郎らしい名言です。

 

明治政府が全国統一貨幣制度へと進めている頃、小林塾からの親交があった後藤象二郎から情報を得た弥太郎は、藩札を大量に買い占めて準備をしていました。

 

統一貨幣と同等の価値で換金してくれるというのを知っていたからです。

そして、換金し出た差額で、多大な利益を上げたといわれています。

 

その時もきっと、お金に頭を下げているつもりで藩札を集めて回ったのかもしれませんね。

利益を出すためには、変な意地やプライドは必要ないということなのでしょう。

 

 

2.「部下を優遇し、事業の利益はなるべく多く彼らに分け与えよ」

世の中の社長さんに是非聞いてもらいたい名言です。

利益を自分のものだけにする経営者は、きっとうまくいかなくなるでしょうね。

 

この名言を知り、出光興産の歴史経済小説「海賊と呼ばれた男」を思い出しました。

主人公である国岡鐵造の従業員を大事にする様が、この名言に繋がったからです。

偉業を成し遂げた人に共通する部分なのかもしれません。

 

 

3.「自信の成事の秘訣であるが、空想は敗事の源泉。

ゆえに事業は心成を期し得るものを選び、一度始めたなら、

百難にもたわまずに、勇往邁進して必ず成し遂げなければならない」

自信を持つことは、成功するための秘訣。

逆に楽観的な計画ばかりでは、失敗が湧き出てくるだけ。

必ず成し遂げられるビジネスを選び、それを成し遂げるためには、どんな困難にも立ち向かっていかなければならないということ。

 

楽な方、楽な方へと逃げてばかりでは、何も掴めませんね。

この精神だったからこそ、数々のビジネスを成功させ、今現在も形を変え残っているんでしょうね。

さすがです。

 

 

4.「小事にあくせくするものは大事ならず。」

小さな目先のことにとらわれてしまっていては、大きなことはできないということ。

目先の小さな利益を追いかけていては、大きな仕事はできない。

目の前の小さな通過点ではなく、大きなゴールに向かって進ことができれば、成功へ繋がることになるんでしょう。

 

 

5.「ひとたび着手した事業は必ず成功を期せ。決して投機的な事業を企てるなかれ。

国家的信念を持ってすべての事業に当たれ」

一度始めた事業は必ず成功するまでやり遂げること。

絶対に成否が不確実な事業を考えるな

誠意を持って公に尽くすような事業をしようということ。

 

事業の成功のために持っていた弥太郎のこの強い信念は、本当にすごいものですね。

自分にも厳しい人だったのではないかと感じました。

機会を見計らって利益を得るようなカッコ悪いことはしないで、人のために尽くすことを続ければ、きっと成功へ繋がるということでしょう。

 

 

6.「機会は魚群と同じだ。はまったからといって網をつくろうとするのでは間に合わぬ」

7.「一日中、川の底をのぞいていたとて、魚はけっして取れるものではない。

たまたま魚がたくさんやってきても、その用意がなければ、素手ではつかめない。

魚は招いて来るものではなく、来るときに向かうから勝手にやってくるものである。

だから魚を獲ろうと思えば常平生からちゃんと網の用意をしておかねばならない。

人生全ての機会を補足するにも同じ事がいえる」

チャンスはいつ出会えるかわからない魚群と一緒。

魚群と遭遇してから網の準備をしたのでは、遅すぎる。

 

呼んだからといってくるわけでない魚群もチャンスも、来るべき時にあっちからやってくる。

そのための準備を怠るなということ。

 

チャンスが来てから慌てて準備をしていたら、せっかくのチャンスを逃してしまうだけ。

予測と柔軟性がビジネスにおいても重要なことなんですね。

 

 

8.「樽の上からすくって飲むやつは、たとえ一升飲まれても、三升飲まれても大したことはない。

怖いのは、樽の底から一滴でも漏れることだ」

9.「酒樽の栓が抜けたときに、誰しも慌てふためいて閉めなおす。

しかし底が緩んで少しずつ漏れだすのには、多くの者が気付かないでいたり、気が付いてもあまり大騒ぎしない。

しかし、樽の中の酒を保とうとするには、栓よりも底漏れの方を大事に見なければならない」

解釈はいろいろとありますが、僕が考えるのは

-誰もが見てわかる目の前の大きな変化、

「上からすくって飲む」「栓が抜けている」状態を慌てふためき何か行動を起こすことよりも、

誰も気づかないような少しずつ継続的に起こる「樽の底から1滴ずつ漏れ出している状態」に気付き改善に努めることが大事だ。

底からたとえ1滴ずつが減っていたとしても、気が付いたころには樽の中には何もなくなってしまっている-

ということなのではないでしょうか。

経営者としての弥太郎は、幹部社員よりも低い地位で働く社員を大事にしていたのかなと印象を受けます。

 

 

10.「人材の育成は学問のある者を積極的に用いよ」

自分の弟をアメリカへ留学させるなど、多額の留学費用を払い、海の向こうのより多くの知識を吸収させ、経営に役立たせようとした狙いがあったよう。

自らも学問のあるものを積極的に用いて、三菱財閥の基盤を作ったとも言われています。

その背景には、「学問もなく、無教育の者を使用していたが、何が大切なのかわからない。それよりも学問のある者を教育する方が簡単で、実学に生かせる」と話していたそうです。

 

 

11.「およそ事業をするには、まず人に与えることが必要である。それは、必ず大きな利益をもたらすからである」

事業のほとんどは、社員に与え任せることが必要。

それによって、生み出される利益は大きいということ。

 

たしかに、企業の社長がいろいろなの計画に首を突っ込み、いちいち出てくるようでは、その会社が心配になりますね。

社長なしでも成り立つような会社の環境作りは、とても大切なことで、それにより社員の意識が高まり利益へと繋がっていくわけですね。

 

 

12.「無駄をなくすということは、口に出して言うのは簡単でも、実行するのは難しい。

これは昔も今も、人々のひとしく悩みとするところである。

余分な人員を整理し、無駄な費用を省き、精魂を尽くして本社の基礎を固め

相手に負けないだけの体制を築いてこそ、はじめてこちらの勝利が期待できる」

「無駄をなくす」と口で言うことは簡単だけど、実行するとなると難しい。

今も昔も同じように、人々が悩む問題です。

 

余分な人材、無駄な経費の整理削減をし、精魂を尽くして本社の基礎を固める。

でも、それだけではなく、相手に負けないだけの体制を築いてからこそ、勝利ができるということです。

 

 

13.「創業は大胆に、事業を受け継ぐには小心で当たれ」

ビジネスを立ち上げるのには、相当のエネルギーが必要になります。

 

ただ、いつまでも躊躇していては何も始まらない。

大胆に行動していくことが重要である。

それとは逆に事業を引き継ぐということは、細心の注意を払って継承することが大切であるということ。

 

たしかに何かを始める時って、大きな力が必要になりますよね。

その力がなければ、創業なんて簡単にできることではありません。

それと比べ、事業継承となると、これから起こるかもしれないリスクを予測することや、それに対する対策を立てるなど、事細かな注意が必要になってきますね。

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岩崎弥太郎の逸話

落書きで投獄

泥酔しケンカになり投獄された父の免罪を訴えて、自らも投獄されましたが、その裏には弥太郎が書いた落書きが原因だったという話。

そもそも泥酔する場になったのが、庄屋の島田便右衛門の酒席です。

招かれた弥太郎父・弥二郎は、泥酔し便右衛門に絡んでいってしまったそうです。

 

その結果、逆に自分がリンチを受け重体に…

もともと嫌われ者だったと言われる岩崎家。

それが背景にもあったのかもしれませんね。

 

そして、そのリンチ事件は、岩崎父子のみを叱責とお咎めなしの便右衛門で決着しました。

その結末に激怒した弥太郎は、奉行所の壁に

「官は賄賂をもって成り、獄は愛憎によって決す」と落書きをします。

 

奉行所は、弥太郎の書いたものと知りながらも、1度は穏便に済ませようと、その落書きを消して、何もなかったことにしてくれたそうです。

そこで収まらないのが弥太郎の性格なんでしょう。

また壁に避難文の落書き…

 

これにより、自身も投獄されてしまったと伝えられています。

でも、この投獄により三菱財閥が誕生することに繋がっていきます。

 

 

投獄中の転機

投獄中に魚梁瀬村の木こりに出会いました。

この木こりから、弥太郎はそろばんや商売を学びました。

これが弥太郎が商売に目覚めるきっかけとなったとされます。

 

木こりから学んだことに大きな影響を受け、木こりには「出世したら、茶碗1杯の金を与える」と約束したそうです。

弥太郎が残した名言からも感じるように、一度始めたことは成功するまでするという強さは、もうこの頃には持っていたんでしょう。

すでに、約束できるくらいの出世へのストーリーができ上がっていたのかもしれませんね。

 

そして、海運王になった弥太郎は、その約束を口だけで終わらせる男ではありませんでした。

わざわざ、その木こりを探し出し、約束の金を取りに来るようにと促したと言います。

有言実行とは、まさにこういうことですよね。

でも、まぁ人間誰にでも、弱い部分や欠点はあるわけです。

こんな弥太郎にも大失態の逸話が…

 

 

公金を使い込み?!

どの時代にも、会社のお金を横領、使い込んで女の人へ貢ぐなんて話は珍しくないわけですが。

弥太郎にもそんな出来事がありました。

 

土佐から長崎へ出張することになった弥太郎ですが、その違いに浮かれてしまいました。

都会に浮かれた弥太郎は、游郭に通いつめる結果になってしまいました。

遊郭とは、今で言う風俗的ところ。

 

それなりにお金のかかるところに通いつめれば、自分の財産では回らなくなってしまいますよね。

その結果、藩の公金に手を出してしまったのです。

 

職を失い、土佐に帰国、借りて弁済し処罰はなんとか免れましたが、もし現在なら面目丸つぶれでは済まなかったでしょう。

そんなこともあった弥太郎ですが、ボーナス制度の先駆者ともいわれています。

 

 

日本ではじめてのボーナス

「会社」という組織ができ、弥太郎が創立した三菱商会で出されたものが、日本初のボーナスと言われています。

今のような基本給の数か月分などと言った大金ではなく、寸志程度だったとも言われていますが、さすが

「部下を優遇し、事業の利益はなるべく多く彼らに分け与えよ」としていた弥太郎です。

 

それに加え、成績によって賞与を与えたりもしていたようで、今の時代のボーナスや年末賞与は弥太郎のおかげなのかもしれませんね。

「ボーナス」などと呼ばれるようになったのは、それからだいぶ先の大正時代に入ってからのようですが。

 

 

岩崎弥太郎の死因(龍馬伝は作り話)

龍馬伝での弥太郎の最期に、納得できなかった人多いようですね。

実際は、最期の状況ははっきりと伝えられているため、ドラマでの最期は作り話のようです。

 

話を戻し、現在に至るま、名や企業を残した弥太郎は、50歳の若さで生涯を閉じました。

その死因の原因は、胃ガンたっだそうです。

 

岩崎家別邸で療養し過ごしていた、1885年の2月7日の夕方、その時はやってきました。

意識は最後の最後までしっかりしていて、直前まで激痛に耐え、うめいていたともいわれています。

家族や部下を集め遺言を伝えたそうです。

 

岩崎彌太郎伝によると、遺志を引き継ぐこととなった弟の弥之助に、こんな言葉を残したそうです。

「志したこと十のうちの二しか出来なかった。 もう一度盛り返したい…」

「弥之助、しっかりその志を継いでくれ…頼む…」と。

 

「兄上、粉骨砕身努力していきます。安心してください」

そう答えた弥之助の言葉に大きくうなずき、裂けるような痛みを感じ、顔をゆがめ目を閉じました。

一度閉じた目を開け、まるでさようならとでも言うかのように、わずかに右手をあげ、眠りにつくように亡くなったと伝えられています。

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さいごに

三菱財閥の創立者という偉業を成し遂げた岩崎弥太郎についてでしたが、この人物はどれだけ知られているんでしょう。

「名前だけ…」という人も含めれば、ほとんどの人に知られる坂本龍馬に対して、その知名度は低いのかもしれません。

 

弥太郎がたった50年の生涯の中で成し遂げた偉業は、今現在も形を変えながら残っています。

游郭に通いつめ公金を使い込んだ逸話も伝えられていて、呆れてしまう部分はありましたが、

様々なことに挑戦し、成功するための努力を惜しまずやり遂げた弥太郎が残した名言は、とても説得力のあるものばかりです。

胃ガンに侵され苦しみながら亡くなったと伝えられる最後の最後まで、立派な人だったんだといった印象が強く残っています。

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