その時歴史が動いた!で毛利家から学ぶ繁栄の法則

おはようございます。

今日は朝から『その時歴史が動いた』を見ていました。

歴史から学べる事は数知れず、今日も気付きをいただきました。

Unknown

今日の話は毛利家が栄え、関ヶ原の敗戦の後山口県に押し込まれる所が描かれていました。

 

毛利氏と言えば、中国8カ国を治めた大大名だった訳ですが、

元々は地方の一領主に過ぎなかった訳です。

 

小さな小さな一領主だった毛利家を一台で反映させたのが

アノ有名な毛利元就(もうりもとなり)です。

 

超有名なのでご存知の方が多いと思います。

 

しかし毛利元就がどのようにしてのし上がっていったかをご存知でしょうか?

 

実はそこから元就の戦略を伺う事が出来ます。

元就が尼子氏と8度も戦をした事はご存知ですか?

なぜ何度も何度も尼子氏を攻めたのでしょうか?

 

実は元就が下克上する為に目指したもの、それは経済力でした。
その為に尼子氏が支配する銀山(石見銀山)を目指したのです。

 

8度目の戦で遂に石見銀山を手に入れた元就は銀の採掘に力を注ぎます。

全盛期には年間38万トン(当時の世界年間採掘量の1/3)もの銀が採掘されるほどのものでした。

 

つまり核となるキャッシュポイントを手に入れた訳です。

そこで得た銀で貿易を行い、元就は主に硝石(火薬の原料)、鉄砲などの軍需品を輸入します。

 

それらの軍事品を用いて隣国を次々に落としていく訳ですから、毛利氏の力はどんどん強大になっていった訳です。

 

まず核となるキャッシュポイントを作る。

そこで得た資金をさらに見込みのある投資に使う。
その投資からより多くのリターンを得る。

つまりこれをやった訳です。

現代ビジネスでの基礎と言っていいですよね?

そんな毛利元就でしたが、75歳にしてこの世を去ります。
そして次の頭首に選ばれたのが孫の毛利輝元です。

輝元は銀山を狙って迫る織田信長、豊臣秀吉から領地を守る事に精を出します。

そう。攻めない。ひたすら守る。守る。守る。

そして信長も秀吉も死んだ後に起こった天下分け目の大戦、関ヶ原の戦いで西軍の総大将になる訳ですね。

 

そして負ける。

家康からほとんどの領地と銀山を没収される。
そのような流れです。

上手く行っていたときは核となるキャッシュポイントを作り、そこから得られる資金を投資に使う。

それが更なる利益をだしていました。

 

でも、外からの圧力に対抗する為に今あるモノを守る事だけにお金をかける事になった。
つまり維持費にお金をかけたわけですよね。

これで毛利家の家運が落ちていった訳です。

維持は必要ですが、維持だけではいつか枯れますからね。

 

mixi,モバゲ,sony,panasonicなどなどなど・・・

どんなに調子が良かった企業でも維持してたら枯れるときが来るんですね。

そしてもちろん先を読む目も必要になるんですね。

やはり常に進歩、進化していく姿勢、そして先見の明が必要と言えるでしょう。

 

例えばサイバーエージェントなんかはその典型ではないでしょうか?

広告代理店⇒ポータルサイト(サイバークリック)⇒アメブロ⇒ソーシャルゲームと時代を読んで次々に事業の核をかえています。

でも、これは企業に限った事ではありません。
個人でも同じ事が言えます。

今、やばい!と思ってません?

安泰とか思ってたらまずい状態になりつつあるかもしれませんよ?

この記事を読んだら、一度考えてみて下さい。

・自分がどこに向かおうとしているのか?

・戦略が間違っていないか?

・間違っていないのであればお金、時間の使い方は正しいか?

 

ご報告お待ちしてます!

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