前回、こんな話をしました。
いくら優れたエンジン(医療技術)を積んでも、電気回路(自律神経とホルモン)がショートしていたら、車は走らない。体は、妊娠を拒否するようにホルモンを出してしまう、と。
「そんなの、ただの比喩でしょう?」
そう思われたかもしれません。
でも、これ、比喩でもなんでもないんです。
人間の体に、実際に組み込まれている仕組みの話です。
今日は、その中身を解剖していきます。
■ なぜ強烈な「脅威」が妊娠拒否スイッチを押すのか?
体の中には、「妊娠していい状況かどうか」を判断する門番のような仕組みがあるのをご存知でしょうか?
脳の奥にある司令塔が、常に体の状態と周りの環境をチェックしています。
そして、「今は安全だ」と判断できたときだけ、門番がゲートを開けて、妊娠に必要なホルモンの流れをスタートさせるのです。
逆に「今は危険だ」と判断すれば、門番はゲートを閉じる。
すると、ホルモンの流れは、そこで止まってしまいます。
では、門番は何をもって「危険だ」と判断するのか?
それは、”脅威”があるかどうかです。
(ん?”脅威”って何?ストレスのこと?)
ここ、混同されがちなので、はっきり分けておきます。
“脅威”というのは、
「自分の身に危険が迫っている」
「この状況から逃げられない」
と脳が受け取っている状態のこと。
ストレスは、その脅威に反応して体に出てくる”結果”のひとつでしかありません。
順番でいえば、脅威が先。
ストレスは、後なんです。
だから、体はこう動きます。
脅威を感じ取る
⇩
司令塔が「今は生き延びることが最優先だ」と判断する
⇩
門番がゲートを閉める
⇩
妊娠に必要なホルモンの流れが、根元でせき止められる
そして、その反応の副産物として、動悸や不眠、イライラといった、いわゆるストレス症状が出てくるわけです。
つまり、体は「ストレスがあるから妊娠しない」のではありません。
“脅威”があるから、授からない体の状態を、わざわざ自分で作りにいっている。
(その反応のうちの一つに、ストレスホルモンを出すというのがあるわけです)
これ、動物として見れば、実に理にかなった仕組みなんです。
命の危険がある状況で、繁殖を最優先にする動物なんていませんよね?
飢餓や外敵に追われている動物が、子作りを後回しにするのと、根っこは同じ。
むしろ、そういう場面で妊娠してしまうほうが、種としては危ないわけです。
問題は、この「脅威かどうか」の判定が、現代人の脳ではかなり過敏だということ。
猛獣に襲われているわけでもない。
飢えているわけでもない。
それでも、終わりの見えない不安、誰にも言えない孤立感、「今月もダメだったら」という恐怖。脳はこれを、まぎれもない”脅威”として受け取ります。
そして、猛獣に追われているときと、まったく同じようにゲートを閉めてしまうんです。
■ では、それは本当に「妊娠率」を下げているのか?
ここで、正直にお伝えしたいことがあります。
「精神状態が不妊治療の成功率を下げる」という話、実は医学の世界でも、意見が完全に一致しているわけではありません。
治療を受けている人を対象にした研究の中には、「精神的な負荷の度合いと妊娠率に、はっきりした関係は見られなかった」というものもあると言えばあるので、ここは、フェアに伝えておきます。
ただ、これまでの多くの研究をまとめて見直した最近の解析では、不安や気持ちの落ち込みが強い人ほど、体外受精のあとに妊娠に至る割合が、統計的に低いという結果が出ています。
劇的な差ではありませんが、「気のせい」で片付けられる差でもありません。
つまり、「脅威を感じていたら絶対に授からない」という単純な話ではないのです。
ですが、
「脅威は、体の門番を閉じさせる仕組みが確かにある」こと。
そして
「不安や落ち込みが強い人ほど、統計的に授かりにくい傾向がある」こと。
この2つは、どちらも事実として積み上がっています。
■ 門番が、ずっと閉まりっぱなしになっている
では、実際に不妊治療をしている人が、どんな状態に置かれているか?
ちょっと想像してみてください。
毎月、生理が来るたびに、期待と絶望を繰り返す。
周りの友人は、次々と子どもを授かっていく。
SNSを開けば、誰かの妊娠報告が流れてくる。
「なんで自分だけ……。」
その感覚が、静かに、でも確実に積み重なっていきます。
家族にも、職場にも、本当のところは言えない。
誰にも相談できないまま、一人で通院し、一人で結果を受け止める。
これ、脳にとっては、明確な”脅威”です。
(もっと言ってしまえば、さらに奥に脅威が隠れていることが多いのですが、話が逸れるので、その話はまたの機会に)
しかも、逃げ場がない。
終わりも見えない。
「あと何回やれば授かるのだろう…」という、答えのない問いを抱え続けている状態です。
一時的な脅威なら、体はすぐに元に戻ります。
例えば、猛獣が去れば、門番はまたゲートを開けるのです。
でも、逃げられない脅威にさらされ続けたら、どうなるか?
門番は、開くタイミングを失ったまま、ずっと閉まりっぱなしになります。
ここが問題なんです。
こんな状態の体に、いくら質の良い受精卵を戻しても、つまり、土台がショートしているところに、どれだけ高性能な部品を取り付けても、うまく走らないのは、ある意味、当然ですよね。
■ 実は、タイミング法の段階でも門番は閉まり始めている
ここまで体外受精の話を中心にしてきました。
でも、この「門番」の話が一番効いてくるのは、実はもっと手前の段階です。
たとえば、タイミング法の段階でもそう。
排卵日を予測して、その日に合わせて夫婦生活を持つ。
不妊治療の入り口として、多くの人がここから始めますよね。
薬もほとんど使わない。
体への負担も、ほぼゼロに近い。
だから、こう言われがちです。
「まだ本格的な治療じゃないから、気楽にね!」
でも、それは違うでしょう。
本格治療かどうかの問題じゃない。
考えてみてください。
排卵日が近づくと、アプリが通知を出す。
「今日です」と言われる。基礎体温をつけて、排卵検査薬を使って、日付をカレンダーに記録する。
夫婦生活が、いつのまにか「タスク」になっていく…。
パートナーにも、プレッシャーがかかります。
「今日しかない」と言われた夜に、うまくいかない。
それが続けば、今度はその失敗自体が、次のプレッシャーになって言ってしまう。
そして、月に一度、必ず結果が突きつけられる。生理が来るか、来ないか。来れば、また一ヶ月がリセットされる。
これ、体への負担はほとんどないのに、脳にとっては明確な”脅威”なんです。
しかも、タイミング法の段階には、体外受精にはない苦しさがあります。
「まだ治療というほどでもない」から、誰にも相談できない。
周りからは「そのうちできるよ」「考えすぎだよ」と言われる。深刻に受け止めてもらえない。
でも本人は、毎月ちゃんと絶望しているんです。
この「軽く見られる」という状態が、孤立をさらに深くしていきます。
■ 一番授かりやすい段階で、門番を閉めてしまっている
ここが、僕が一番もったいないと思うところです。
タイミング法の段階にいる人は、体の状態でいえば、まだ大きなダメージを負っていません。
薬も使っていない。採卵もしていない。
本来なら、門番が一番素直に開いてくれるはずの段階なんです。
にもかかわらず、その入り口で、脅威にさらされ始める。
そして門番が閉じたまま、半年、1年と過ぎていく。
「タイミング法でダメだったから」と、人工授精へ、体外受精へと進んでいく。
考えてみてください。
門番が閉まっている原因を、一度も取り除かないまま、治療の段階だけを上げていっているんです。
エンジンをどんどん高性能なものに載せ替えているのに、電気回路のショートは一度も直していない。
タイミング法の段階でも、「脅威を取り除くケア」が必要なんです。
ここで門番が開けば、そもそも高度な治療に進まずに済む人が、かなりの数いるはずですから。
でも現実には、この段階の人に心のケアが届くことは、ほぼありません。
「まだ治療じゃないから」という理由で。
一番救えるタイミングで、一番放置されている。
僕は、ここが日本の不妊治療の、もう一つの大きな穴だと思っています。
■ 低刺激療法が「沼」になる人、「一発で成果が出る」人の違い
ここで、前回お伝えした「低刺激治療」の話に戻ります。
低刺激法というのは、本来、悪いものではありません。強い薬で卵巣を無理やり叩き起こすのではなく、体が本来持っているリズムを、そのまま引き出す技術ですから。
うまくいけば、少ない負担で、質の良い卵子が育ちます。
問題は、その「うまくいく条件」が、日本ではほとんど語られていないこと。
低刺激法が本来の力を発揮するのは、門番が安心してゲートを開けていられる状態のときです。脳が「今は安全だ」と判断できている。
そういう土壌でこそ、少ない薬でも、体は自分の力で応えてくれます。
でも、多くの人はそうではありません。
逃げ場のない脅威にさらされたまま、低刺激治療だけを何ヶ月も続けている。土壌がカラカラに乾いた状態で、肥料だけを減らしているようなものです。
芽が出にくいのは、当然ですよね。
同じ「低刺激」という治療法を受けていても、心の状態次第で、結果がまったく変わってくる。
これが現実です。
■ 日本に決定的に足りない「心の土壌ケア」
ここまでの話を整理します。
低刺激治療そのものは、悪くない。むしろ、体への負担を考えれば、理にかなったアプローチです。
でも、「薬を減らす」というアプローチだけを取り出して、「脅威を取り除く」というもう片方を放置したら、成立しません。
肥料を減らすなら、土壌を耕す作業が、絶対にセットで必要なんです。
これ、僕が勝手に言っているわけではありませんよ。
たとえばイギリスでは、体外受精を行うすべての認可クリニックに対して、患者が希望すればカウンセリングを受けられる体制を用意することが、法律で義務づけられています。
治療の一部として、心のケアが最初から仕組みに組み込まれているんです。
一方、日本にこの義務はありません。
なんで?おかしくない?と僕は思うのですが、あなたはどう思いますか?
心のケアをするかどうかは、クリニックごとの判断。
やってくれるところもあれば、やってくれないところもある。
というか、ほとんどのクリニックではメンタルのケアなんてやりません。
それどころか、横柄な医師さえたくさん存在する。
それが現状です。
片方だけやって、もう片方をまるごと医療の外側に丸投げしている。
しかも、それをカバーする仕組みが、どこにもない。
じゃあ、その「心の土壌ケア」は、誰が、どうやって担えばいいのか?
医師でしょうか?
忙しい外来の合間に、一人ひとりの孤立まで、ケアしきれるでしょうか?
そもそも、ちゃんとメンタルを扱える技術を学んだ婦人科系の医師なんて、ほぼいません。
では、この「医療の外側に置き去りにされたケア」を、どうやって手に入れるか?
ここに、日本の不妊治療が変わるための、一番大きな鍵があると僕は考えています。
次回、最終話です。
・医療者には、絶対に埋められない「当事者の心の穴」
・そして、それを埋めるための「マタニティメンタル」という考え方
について、具体的にお伝えしていきます。
第3話:暗闇を抜けるための「マタニティメンタル」という新常識はこちらです。
→ https://shin12.info/?p=9279
■ 補足
体外受精の前のタイミング法の段階でも、脅威が深くなってくるという話をしましたが、そもそもタイミング法の前から、脅威というものはほとんどの人が持っています。
例えば、子供の頃から何らかの脅威を持っていて、それが不妊になりやすい体の反応を引き起こしているということもよくあります。
- 私は幸せになってはいけないと思っている
- キャリアを中断させたくないと思っている
- 私には価値がないと思っている
これらは人によって様々ですが、何も妊活を始める段階で初めて脅威が深まっていくわけではない、というところを補足させていただきます。
なので、本当にそこの脅威というものを見つけて、緩めていく(解除していく)ということをしていかないと、なかなか土台が作られてこないんですね。
そのあたりの話は、こちらでもお伝えしていますので、よかったら調べてみてください。ぜひご覧ください。
