片山真一自己紹介

3ヶ月ほど前の夜、僕の胃はまた痛みはじめました。

きっかけは、たったひとつの考えでした。

(自分が生まれてこなかったほうが、母は幸せだったんじゃないか)

ふと、そう思ってしまったんです。

心のことを仕事にして、13年以上。

人に「心と体はつながっていますよ」と伝えている人間が、です。

情けない話ですよね。

でも、この出来事は、僕にもう一度、はっきり突きつけてきました。

自分を責める気持ちは、ちゃんと体に出る。

しかも、本人が気づかないうちに。

片山真一といいます。

妊活や不妊治療のなかで心をすり減らしてしまう方に向けて、「マタニティメンタル」という考え方を伝えています。

この胃の話には、続きがあります。

ただ、その前に。

さっきの、(自分が生まれてこなかったほうが、母は幸せだったんじゃないか)という考え。

あれ、3ヶ月前に突然わいてきたものじゃないんです。

僕はずいぶん長いあいだ、心のどこかで、そう思いながら生きてきました。

いまでこそ、僕は妊活で苦しんでいる方に「どうか、自分を責めないでください」と伝えています。

でも、いちばん長く自分を責めてきたのは、たぶん僕のほうです。

二十歳ごろまでの僕は、夜、布団に入って暗い天井を見上げては、ひとりで泣いている人間でした。

何があったのか。

母の話から、させてください。


「しんちゃん、起きないならもっとチュ〜しちゃうよ〜!」

朝、目が覚めると、母が僕の上にまたがっていました。

小学生の頃の話です。

「わかった!もう起きるからチューしないで!」

そう言って起きても、母はまたがったまま、僕の顔をじーっと見てきます。

「しんちゃんの鼻は、なんでそんなにぺちゃんこなの?」

「しんちゃんて、好きな子とかいるの?」

そんな他愛もない質問から、僕の毎日は始まっていました。

両親は、僕が2歳のときに離婚しています。

それから母は、女手ひとつで、僕と姉を育ててくれました。

正直に言うと、生活は楽ではありませんでした。

母は小さな会社の事務員で、給料が高いわけでもない。

住んでいたのは、家賃2万円ほどの、少し暗い雰囲気の漂う雇用促進団地でした。

そこには、似たような家庭がたくさんありました。

離婚してひとりで子どもを育てている、お水のお姉さん。

出稼ぎに来ていた、ブラジル人の一家。

子どもが多すぎて、いつも貧しい大家族。

世間から見れば、立派とは言えない人たちだったのかもしれません。

高学歴でも高収入でもない。いい会社に勤めているわけでもない。

でも、みんな、人一倍優しかったんです。

遊びに行けば、

「しんいち、お腹すいてないか?ご飯うちで食べてくか?」

夜遅くなれば、

「しんいち、今日は家泊まってくか?」

そのまま泊めてもらって、朝、ランドセルを取りに一度家へ戻ってから学校に行く。

友達の家に2泊3日。小学生なのに、それが日常茶飯事でした。

だから僕の感覚では、我が家がいくつもあって、

お母さんも、3人いました。

お金はなかったけれど、僕は、めちゃくちゃ愛されて育ったんです。


その暮らしが崩れたのは、僕が小学5年生のときでした。

母が、ガンになったんです。

いまでこそ、ガンから生還する人は珍しくありません。

でも当時は、ガン=死、というイメージが強い時代でした。

「ガンって治るの?」

「大好きな母さんが死んじゃうかもしれない。」

「それって、もう二度と母さんと会えなくなっちゃうってこと?」

10歳の僕には、重すぎる現実でした。

それ以来、毎日が不安でした。

不安で、不安で、しょうがない。

でも僕は、その不安を、誰にも見せませんでした。

母に心配をかけたくないから、家では明るく振る舞う。悩みなんて何もないフリをして、いつもふざけている。

学校でも、同情なんてされたくないから、親友以外には、母の病気のことを打ち明けませんでした。

……ここまでなら、まだいいんです。

子どもなりに気を張っていた、という話ですから。

問題は、そのあとでした。


僕は、逃げてしまったのです。

「母さんが死ぬなんて、あるわけない。」

「きっと大丈夫だ。僕が気にしなければ大丈夫だ。」

そう言い聞かせて、母の病気のことを、できるだけ考えないようにしてしまいました。

本当は、心配で心配でしょうがなかった。

母にもらった愛情に、恩返しがしたかった。

でも、それをしてしまうと、母の死期が迫っているのを認めるようで。

病気で母が死んでしまうのを、認めてしまうようで。

こわくて、10歳やそこらの僕には、とても持ちきれなかったんです。

だから僕は、家にいませんでした。

母の体がやせ細って、髪が全部抜けて、皮膚がカサカサになっても、

家の手伝いすら、まともにしなかった。

そういうことは全部、姉に押しつけて、僕は外で遊んでばかりいました。

家にいると、母が苦しそうにしているのが、見えてしまうから。

抗がん剤の副作用で、母が布団に横になって吐いていても、

僕は、背中を擦ってやることすら、しなかったのです。

「大丈夫、大丈夫。僕が認めなければ、きっと元気になるから。」

そんなふうに、目を背け続けてしまいました。

本当は、いつまででも、背中を擦っていてあげたかったのに。

そこにいたのは、現実を直視できない、弱い自分でした。

自分でも分かっていました。あれは、偽物の自分だったと。


6年間の闘病生活の末、母は息を引き取りました。

高1の、秋のことでした。

不思議なもので、はじめは、思っていたほど悲しさがこみ上げてきませんでした。

亡くなったという実感が、なかったんです。

でも、1ヶ月、2ヶ月と過ぎるうちに、じわじわと来ました。

「本当に、母さんにはもう会えないんだ。」

「病室にお見舞いに行っても、もういないんだ。」

寂しくて、寂しくて、毎晩泣くようになりました。

ベッドに横になって、暗い天井を見上げていると、母のことが思い出されて、涙が溢れてくる。

それが、二十歳ごろまで続きました。

祖母の家で暮らすようになって、第二、第三の家は遠くなり、姉とも別々に暮らすようになりました。

祖母は祖母で、僕のことをめちゃくちゃ愛してくれましたし、僕も祖母が大好きでした。

それでも、母と姉と3人でいたあの頃とは違って、ずっと寂しいままだったんです。

何もやる気が起きなくて、考えることといえば、こんなことばかり。

(自分は、何のために生きているのか)

(人は死ぬと、どうなるんだろう)

(どうやったら、もう一度母に会えるんだろう)

(周りのみんなは親がいるのに、なぜ僕だけいないんだ)

(頑張ったって、何も報われないじゃないか)

(母さんだって、あんなに頑張ったのに、死んじゃったじゃないか)

(もう、俺なんて生きてる意味ないよ)

母に会いたすぎて、古代エジプト人が使っていたという黒魔術を、本気でやろうとしたこともあります。

(さすがに止められて、やりませんでしたが)

いま振り返っても、母を亡くしてからの5年間は、僕の人生の暗黒期でした。


さて、ここから少し、時間を飛ばします。

大人になった僕は、会社員を経て独立しました。

気がつけば、もう13年以上になります。

その途中で、仕事がぱたりと伸びなくなった時期がありました。

何をやっても、そこから先へ進まない。

原因を探っていくうちに、僕は自分の中に、あるものを見つけました。

「脅威」です。

僕にとっての脅威は、これでした。

——相手に、断られてはいけない。

なぜ、そんなものを抱えていたのか。

たどっていくと、母子家庭で育った、あの頃に行き着きました。

僕は、母に何かをお願いして、断られるのが、こわかったんです。

親がひとりしかいない子どもにとって、その親に拒否されるというのは、すべてが終わってしまうような感覚でした。

絶対に、避けなければいけないこと。

その恐怖を、僕は大人になってからも、そのまま引きずってしまっていたわけです。

だから、仕事でもそうなる。

相手にとって本当に良い提案があっても、本当に良い商品があっても、

「断られたらどうしよう」で、無意識にブレーキがかかって、言えない。

伝えれば、その人の役に立つと分かっているのに、飲み込んでしまう。

……この癖が、のちに、取り返しのつかない形で出てしまうのですが。

その話は、もう少しあとでさせてください。


あるとき、僕は気づきました。

それ、子どもの頃の話じゃないか、と。

大人になった今、相手にとって本当に良い話なら、伝えてあげたほうがいい。

そこで断られたとしても、それは相手の自由です。

僕がコントロールすることじゃない。

断られることに、ストレスを感じる必要も、脅威に思う必要もない。

そう腹落ちしたとき、僕は、必要な人に必要なものを、愛を込めて、真っすぐ伝えられるようになりました。

すると、止まっていた仕事が、嘘みたいに動き出したのです。

念のために言っておくと、僕は新しいことを何も始めていません。

死ぬほど働いたわけでもない。

ただ、自分の中の脅威が、ひとつ消えただけです。

それだけで、行動が勝手に変わって、結果まで変わってしまった。

10年ほど前の話です。

このとき、僕は初めて確信しました。

心の状態は、現実を変える。

気合いや根性の話じゃなく、もっと仕組みとして、変えてしまう。


この経験があったから、僕は人の心を扱う仕事を、本格的にやるようになりました。

親子の問題。長年消えない体の痛み。夫婦の関係。

いろんな方の人生に、向き合ってきました。

その道の一流と呼ばれる方々と手を組んで、プログラムを作ってきたこともあります。

海外から飛行機を乗り継いでセッションを受けに来る人がいるような、国際的なメンタルトレーナー。

酔拳の元世界チャンピオン。

ハワイ在住の、婦人科の女医さん。

自分ひとりで立ち上げたプログラムにも、これまで300人以上の方が参加してくれました。

そこで僕が何を見てきたかというと、人の人生が、一気に好転していく瞬間です。

……と、こう書くと、いかにも順調に来たように見えますよね。

でも、僕がこの仕事をしている理由は、そんなに立派なものではありません。

根っこにあるのは、たぶん、これです。

女性に、幸せになってほしい。

もっと言えば、もっと母を幸せにしたかった、という気持ちです。

苦しそうにしている母の背中を、擦ってあげられなかった。

あれは、いまも僕の中に残っています。

だから、これは戒めなのかもしれません。

でも、その戒めのおかげで、母のような人の力になれるのなら、あの後悔も、少しは報われる気がしているんです。


さて。

「取り返しのつかない形で出てしまった」と、さっき言いましたね。

その話をします。

数年前のことです。

知り合いの女性——仮に、ヒミさんとします。

彼女が、待望の赤ちゃんを身ごもりました。

何年も頑張って、やっと授かった子どもでした。

本来なら、こんなにうれしい知らせはないはずです。

でも、ヒミさんの口から出てくるのは、不安の言葉ばかりでした。

「またダメだったらどうしよう」

「次の検診のときに、無事に心音が聴けるか不安で……」

「安定期まで、無事に育ってくれるといいんだけど」

まるで、最悪の結果をあらかじめ受け入れようとしているみたいで。

僕は、胸がざわついていました。

(このままの心の状態だと、まずいかもしれない)

(メンタルと妊娠ホルモンの関係を、伝えたほうがいいんじゃないか?)

そう思ったんです。はっきり、思ったんです。

でも、当時の僕は、その言葉を飲み込んでしまいました。

(それほど親しい間柄でもないし、人様のことに口を出すのは、大きなお世話だろう)

(知ったようなことを言って、逆に焦らせたり、傷つけてしまうかもしれない)

そう思って、何も言えなかったのです。

——そして、数週間後。

僕の予感は、いちばん悲しいかたちで、当たってしまいました。

もちろん、原因が心だけ、なんてことはないでしょう。

そんな単純な話じゃない。

それは、分かっています。

分かっているのに、僕はいまでも、こう思ってしまうのです。

「心の状態が、妊娠ホルモンに直接影響する」

——たったこれだけのことを、ひと言でも話していたら。

あの人は、子どもを諦めずにすんだんじゃないか。

いまごろ日曜日になると、近所の公園に、子どもと旦那さんと三人で出かけて。

芝生にシートを敷いて、朝早く起きて作ったサンドイッチを、笑いながら頬張っている。

そんな、当たり前の幸せの中にいたんじゃないか。

子どもと手をつないで歩く彼女の姿が、いまでも目に浮かびます。

それほど親しい仲ではなかった。

でも、その事実を知っていたのは、僕でした。

伝えることは、できたはずでした。

(おせっかいと思われたかもしれないけど、話してあげればよかった)

(気持ちが楽になるようなことを、言ってあげればよかった)

その想いは、いまも消えません。

お気づきかもしれません。

これ、あの癖です。

母に断られるのがこわかった、あの子どもの延長線上にある癖が、いちばん取り返しのつかないところで出てしまったのです。


このとき、僕はようやく腹を決めました。

知っていて、黙っている。

——それを、もう二度としない。

だって、おかしいと思いませんか。

「心をゆるめることが、妊娠率を変える」

これほど大切なことが、なぜかほとんど知られていない。

海外では、体の治療と心のケアをセットでやるのが当たり前の国もあります。

心のケアを受けた人の一年以内の妊娠率が、そうでない人の2.8倍だったという研究もある。

体外受精でも、心と体を一緒に整えたグループのほうが妊娠率が高かった、という報告があります。

もちろん、誰でも必ず、という話ではありません。

それでも、これだけの差があるものが、日本ではほとんど手つかずのまま放置されている。

しかも、じゃあ具体的に何をどうすればいいのか、どこでも教わることができない。

だったら、僕が伝えるしかないじゃないですか。


そこで僕がたどり着いたのが、「マタニティメンタル」という考え方です。

言葉にすると、シンプルです。

子どもを授かり、産みやすい、心の状態のこと。

なぜ、そんなものが必要なのか。

人の体には、大昔からの絶対ルールがあるからです。

——危険なときは、子どもを宿さない。

命の危機を感じているとき、体は「生き延びること」を最優先します。

妊娠は、後回しになる。

問題は、体が何を「危険」とみなすか、です。

現代の危険は、猛獣や飢えじゃありません。

終わりの見えない治療のプレッシャー。将来への不安。

そして、自分を責める気持ち。

体はこれを、命の危機と勘違いして、ブレーキを踏んでしまう。

つまり、頑張っているのに授からないのは、努力が足りないからでも、体がダメだからでもないんです。

アクセルとブレーキを、同時に踏んでいるだけ。

だったら、アクセルを足す前に、まずブレーキをゆるめたほうがいい。

そのために、体・心・環境——この3つから、体に「もう大丈夫だよ」と伝えていく。

僕はそれを、マタニティメンタルと呼んでいます。

マーケティングのために作った言葉ではありません。

あのとき、ヒミさんに渡せなかったものに、名前をつけたら、こうなった。それだけです。


もうひとつ、正直に打ち明けておきます。

僕が本当に作りたいのは、「子どもが幸せに育っていける社会」です。

そのカギを握るのは、その子が育つ家庭の環境で。

家庭の環境を左右するのは、夫婦の関係の良さと、何より、お母さんが毎日を安心して過ごせているかどうかです。

お母さんの安心が、そのまま、子どもの安心になる。

そして、その環境づくりは、妊娠してからでは遅いんです。

心の土台も、パートナーとの関係も、妊娠する前から、もう始まっている。

だから僕は、妊娠・出産だけをゴールにしていません。

その先の10年、20年、30年。

生まれてきたその子が、やがて大人になって、いつか自分の子をその腕に抱く日まで。

幸せが、世代を超えてつながっていく。

僕が見たいのは、そういう景色です。

……なんだか、大きな話をしてしまいましたね。


さて。冒頭の、胃の話の続きをします。

じつは僕の慢性胃炎が消えたのは、あの夜が最初ではありません。

一度目は、半年ほど前でした。

当時の僕は、自分に自信が持てずにいました。

実績と呼べるものは、それなりに出してきたはずなんです。

それなのに、自信がない。

そして、その「自信がないこと」を、悪いことだと思っていました。

心のどこかで、自分は無力だ、とも思っていた。

でも、あるとき気づいたんです。

問題は、無力なことじゃない。

「無力なのはダメなことだ」と思い込んでいた、そっちのほうだ、と。

無力って、べつに悪くない。

というか、無力って、最高じゃないか。

そう思えたとき、長年つきあってきた慢性胃炎が、すっと消えました。

それから、3ヶ月ほど経った頃です。

いつものように、自分の心のセルフチェックをしていました。

そのときです。

(自分が生まれてこなかったほうが、母は幸せだったんじゃないか)

ふと、そう思ってしまったのです。

その日の夜から、胃が、また痛みはじめました。

分かりやすすぎて、笑ってしまいますよね。

そこから1、2週間は、仕事が立て込んでいて、自分のケアができませんでした。

ようやく時間ができたとき、僕は改めて、考え直してみたんです。

そのとき目に入ったのが、息子でした。

うちの息子は、べつに僕を喜ばせようとして生きているわけじゃありません。

どちらかというと、手がかかることのほうが多い。

それなのに、僕は息子から、とんでもない量の幸せをもらっている。

見ているうちに、思ったんです。

これ、僕が小さかった頃と、同じじゃないか。

僕だって、母を喜ばせようとして生きていたわけじゃない。

きっと手もかかったし、迷惑もかけた。

でも、あの頃の母は——いま僕が感じているのと、同じ幸せを感じていたんじゃないか。

そう思った瞬間に、するっと入ってきました。

母さんは、僕に会いたくて、お腹を痛めて産んでくれたんだ。

僕は、生まれてきて、本当に良かったんだ。

心から、そう思えました。

その次の日から、胃炎は、またすっきりとなくなっていました。


何が言いたいか、というと。

僕は、こういう仕事をしている人間です。

それでも、たったひとつの考えで、体を壊してしまう。

そして、たったひとつの考えを変えるだけで、体は元に戻ってしまう。

心と体はつながっている、というのは、僕にとって理論ではありません。

自分の胃で、二度も確かめてしまったことなんです。

仕事が止まっていたときも、同じでした。

やり方を変えたわけじゃない。

自分の中の脅威が、消えただけです。

だから僕は、確信しているのです。

いま不妊で苦しんでいる方の中にも、マインドやメンタルのアプローチで、救える部分がかなりあると。

もちろん、心を整えれば必ず授かる、なんて無責任なことは言いません。

でも、まだ誰も触っていない場所が、あなたの中に残っているのは事実です。

そこは、いちばん変われる余地がある場所でもあります。


最後に、ひとつだけ。

僕の場合は、母のことでした。

(自分さえ生まれてこなければ)

その考えを、長いこと抱えたまま生きていました。

自分では、とっくに乗り越えたつもりでいたのに、3ヶ月前にまた顔を出して、胃を痛くしてきたわけです。

やっかいですよね。こういうものは、本人がいちばん気づけない。

では、あなたの場合は、どうでしょうか。

「授からないのは、私のせいだ」

「私の体が、ダメだから」

そんなふうに、自分を責めていませんか。

もし、そうだとしたら。

その責める気持ちこそが、あなたの体に「まだ危険だ」と伝え続けている可能性があります。

だから、順番が逆なんです。

授かったら、安心できるんじゃない。

安心が戻ってきたときに、体のブレーキが、ゆるみはじめる。

あなたには本来、授かる力が、ちゃんと備わっています。

足りないのは、努力でも、根性でもありません。

その力を、安心して取り戻せる場所だけです。

僕は、もう一人も、見捨てたくないんです。

あのとき渡せなかったものを、今度は、あなたに手渡させてください。

片山真一