「泣くほど感謝された親切」が、相手をダメにするとき

おはようございます、片山真一です。

今日は、「それって本当にいいことなの?」という話をします。

音声はこちらです。

昨日ですね、動画を見ていたんです。

いろいろ流れてくるじゃないですか。
その中に、こんな動画がありました。

たぶんアフリカだと思うんですけど、すっごく貧しい地域。

そこで、洗車をしている男の子がいるんです。

男の子といっても、もう20歳ぐらいかな。

そこは渋滞がひどいので、止まっている車をそのまま洗車していく。

そういうお仕事をしているんですね。

物売りじゃなくて、”洗車売り”をしているわけですよ。

で、その彼に「独立するには、いくら必要なの?」と聞いたら。

日本円で、3万円ぐらいだと。

すると、西洋人っぽい人が「じゃあ、それ出してあげるよ」と。

その青年は、もう本当に泣きそうなぐらい感謝していて。

すごく感動的な演出になっていて、確かにいい話だな、とも思うわけです。

コメント欄を見ても、絶賛の嵐。

でもね。

僕、ふと思ったんですよ。

ちょっと待って、ちょっと待って!

それって、本当にいいことなの? と。

お金を出してあげることが良いか悪いかは、場合によると思っています。

たとえば、彼が食べることにも困っているなら。
お金をあげたらいいと思いますよ。

何日か食べられるぐらいのお金をね。

でも、別に食べるのに困っているわけじゃない。

今の彼にとって、その期間は「修行中」なわけですよね。

その修行期間を、まるごとすっ飛ばせるような金額をポンと渡す。

これって、本当にいいことなのでしょうか?

もちろん、彼がそのお金に手をつけずに修行を続けるなら、いいのかもしれません。

でも僕は、一生懸命やっている人から「一生懸命さ」を奪うようなことは、しない方がいいと思っているのです。

洗車の例だと、ちょっとわかりにくいかもしれないので。

ラーメン屋さんで例えますね。

「いつか自分の店を持つのが夢です」と言って、リアカーを引いて屋台をやっている人がいるとします。

そういう人が開業する頃には、きっと味が良くなっていますよね。

開業した時には、もう固定客がついている。

ノウハウも、もう蓄積されている。

そんなラーメン屋さんに、「開業にいくら必要なの? じゃあ僕が出してあげるよ」とポンと出しちゃう。

それって、その先で彼が苦労することにならないでしょうか?

思いません?

逆に言いますと、リアカーを引いて、開業までたどり着けなかったとしたら。

おそらく、開業してもうまくいかない可能性が高いですよね。

だって、「まずい」って言われて、お客さんに支持されなかったんですから。

そりゃ無理ですよ。

そうではなくて、「まずい」と言われる。

そのフィードバックをもらって、改良していく。

何事も、これの繰り返しですよね。

そうやって繁盛店になって、「毎週あなたのラーメンを楽しみにしてます」という人が増えていったら。

これはもう、成功間違いなしなわけですよ。

だから僕は、いい人なんだろうけど、そうやってむやみにポンとお金をあげることには、けっこう反対派です。

お祝いしてあげたいなら、開業した時にあげたらいいじゃないですか!!

つまり、何が言いたいかと言いますと。

よく考えていない善行は、悪行に変わるよ、ということです。

相手のチャンス、能力を伸ばすチャンスを、奪ってしまうんですね。

そして、これは僕らの生活でもまったく同じことが言えます。

ボンボンっているじゃないですか?

YouTubeでも、大富豪の家に生まれたお坊ちゃんが、しょうもないやつになっていく話ってけっこうありますよね。

あれも、似たような構造だと思っています。

何でも買ってもらえる。
何もやらなくても、何も覚えなくても、メイドさんがやってくれる。

そういう世界観で育った子が、大人になった時にどうなるか。

……ろくな人間にならないですよね。

それで立派な人間になったのなんて、お釈迦様ぐらいのものでしょう。

王子として生まれて、贅沢な暮らしをして、そこから旅に出て仏教を開いた。
そういうパターンもあるにはあるんでしょうけど、まあ、ないですよね。

まともに生きてほしいと思ったら、まともな教育をしてあげた方がいい。

何でもかんでも手を出さない方がいいのです。

何でもかんでも手を出す親って、いるじゃないですか。

子どもに失敗させないように、失敗させないように。
木に登ろうとしたら止める、とか。

そんなことをしていたら、本当に何もできない子になっちゃいます。

別に、木ぐらいいいんですよ。

これは、あらゆる場面で同じです。

宿題を手伝ってあげる。

「やってないと明日先生に怒られちゃうから」と言って、親がやる。

それも論外なわけですよ。

宿題をやっていなかったら、やるようにちゃんと言えばいい。

それでもやらなかったら、先生に怒られればいいんです。

そうやって学んでいくんですから。

僕はコンサルをやる時もそういうスタンスですし、子育てでもそうです。

忘れ物がないか、チェックしません。

学校で困るなら、自分でチェックしなかったのが悪い。
困ったら困ったで、そこで学べばいい。

困ってなんぼ、なのです。

そうすると、「じゃあ次からは困らないように、自分でチェックしよう」となっていくわけですよ。

「厳しいね」と言われることもあります。

でも僕は、全然厳しいと思っていません。
変に甘やかす方が、子どものためにならないと思っているので。

今、うちには小学生が2人いますけど、本当によくやってますよ。

2人とも、偉い。

変に厳しくするのも良くない。

でも、変に甘やかすのも良くない。

僕らが人と関わる時も、これは同じだと思います。

そして、自分が逆の立場になった時。

誰かが手を差し伸べてくれたら、それはありがたいことです。

でも、その気持ちだけ受け取って。

「今ここは耐え時なので、頑張ります」

そういうスタンスも、大事かもしれませんよね。

もちろん、頑張って頑張って、一生懸命やって、それでもどうにもならなかった時。

救いの手って、そういう時にやってくるものです。

そういう手は、どんどん受け取ったらいいと思います。

ただ、変に受け取らない、ということですね。

騙される人もいますから、気をつけてくださいね。

それでは!

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