最近のオカルト動画、見終わったあとに「で?」ってなりませんか?
「◯月◯日に大地震が起きる」
「ペンタゴンの中にはハンバーガー屋があって、それをやっているのは宇宙人だ」
こういう話、最近よく目にしませんか?
見ているときは、ちょっとワクワクします。
でも見終わったあとに、ふと思うわけです。
……で?
その話、どこに根拠があるの?と。
僕は最近のオカルト業界に対して、正直ちょっと思うところがあるのです。
音声はこちらです。
それは、なんかバカバカしいなぁ、ということ。
「オカルトなんて、そもそもそういうものでしょ」という意見
こう言うと、「いやいや、オカルトなんて最初からそういうものでしょ」と思う方もいるかもしれません。
宇宙人も予言も陰謀論も、もともと確かめようがない話です。
だったら、エンタメとして楽しめればそれでいいじゃないか、と。
そう考えるのも、無理はないと思います。
実際、エンタメとしてはおもしろいのかもしれません。
ただ、僕はどうしても引っかかるのです。
なぜかというと、オカルト業界は以前、もっと「まとも」だったからです。
以前のオカルト業界は「まとも」だった
「まともなオカルト業界」って、ちょっと矛盾しているように聞こえますよね(笑)。
でも、本当にそうだったのです。
宇宙人にしても、予言にしても、陰謀論にしても、一応、根拠がしっかりしているものが多かった。
「お、これは一考の余地があるな」と思える根拠が、ちゃんとあったのです。
それが最近は、本当に「言ったもん勝ち」になってしまっています。
ペンタゴンの中にハンバーガー屋がある話も、別にそれが正しいとか間違っているとか言いたいわけではありません。
そうではなくて、問題は「確認しようがない」ということ。
確認しようがないから、言ったもん勝ち。
しかも、その根拠もめっっちゃ薄いんですよね。
一事が万事、そんな感じなのです。
では、真偽を確かめようがない話で、言ったもん勝ちにならない方法なんてあるのでしょうか?
元オカルトブロガーとして、僕がやっていたこと
実は僕、昔オカルトブログをやっていたのです。
2014〜2016年ぐらいの話です。
最高で月間115万PVまでいったので、けっこう人気のブログだったと思います。
……まあ、途中で飽きてやめちゃったんですけど(笑)。
そして、そのブログで僕が書いていたのは、自分なりの「考察」と、その「根拠」でした。
結論だけをポンと出すのではなく、なぜそう考えるのかを、筋道を立てて書いていたのです。
例えば、秀吉の「中国大返し」は本当に可能だったのか?
1つ例を出します。
豊臣秀吉の「中国大返し」をご存じでしょうか?
明智光秀が本能寺で織田信長を討ちました。
その知らせを受けたのが、中国地方で毛利と戦っていた秀吉です。
秀吉は毛利との戦いに決着をつけ、台風の中、一気に京都方面へ戻った。
そして山崎の合戦で、明智光秀を討った。
これが定説になっています。
でも、僕は思うわけです。
……いや、無理でしょ、と。
台風の中、今の岡山のあたりから京都まで、とんでもない短期間で戻るのです。
道中は台風で川も氾濫していた。
それでも兵士みんなで手をつないで、川の勢いを弱めて渡った、なんて話があります。
さらに道中のあちこちで炊き出しをさせて、いつでもご飯が食べられるようにしておいた、とも言われています。
いやいやいや、ちょっと待ってちょっと待って!
単純に距離を考えても無理ですし、昼も夜も走り通すのも無理でしょ。
しかもそこから、半日ぐらい休んだだけで山崎の合戦です。
相手は、十分に休養を取れている明智軍。
こっちは、ずーっと休まず走り続けてきた秀吉軍。
それで秀吉が勝つのです。
無理でしょ!?どう考えても無理でしょ!?
根拠を出せば、「言ったもん勝ち」にはならない
そして、ここが大事なところです。
僕の考察が合っているか間違っているかなんて、今さら確かめようがありません。
それでも、言ったもん勝ちにはならないのです。
なぜなら、「こういう根拠で、僕はこういう結論に達しました。あなたはどう考えますか?」という話だからです。
根拠が示されていれば、読んだ人はその根拠を検討できます。
「その距離の計算はおかしい」と反論することもできますし、「確かにそうだ」と納得することもできます。
つまり、答えそのものは確かめられなくても、考え方の「筋道」は確かめられるのです。
だったら、オカルト業界も根拠を出せばいい。
それで解決するはずです。
……と、言いたいところなのですが。
しかし、最近のオカルト業界は「根拠っぽいもの」を出してくる
実は、ここに一つ問題があります。
最近のオカルト業界も、一応「根拠らしきもの」は出してくるのです。
わかりやすいのが、2025年7月の予言です。
漫画家のたつき諒さんの作品から、「2025年7月に大地震が起きる」という予言が広まりましたよね。
あのとき、めちゃくちゃ騒然とした雰囲気でした。
「本当に起きるのかな」と、気にしていた方も多かったのではないでしょうか?
そして、その1〜2ヶ月前ぐらいまでは、オカルト業界の人たちがこぞって、理論っぽいことを言っていました。
「世界最高の預言者がいて、その人も起きると言っている」
「裏の業界のボスが信頼している占い師がいて、その占い師によると……」
こういう話が、いっっっぱい出てきたのです。
でも、これ、根拠と言えるでしょうか?
誰なのかもわからない「すごい人」が言っている、というだけの話です。
むしろ、もし本当にそんな人がいるのだとしたら——
全部外してるじゃないですか!!
不安を煽って、外しすぎ
ここで僕が言いたいのは、責任を取れということではありません。
そうではなくて、不安ばっかり煽って、それにしても外しすぎでしょ、ということです。
根拠の「形」だけを整えて、中身は適当。
これでは、根拠を出していないのと同じなのです。
では、なぜここまで外し続けても、業界は平気でいられるのでしょうか?
2025年最大の発明「当たっても外れても正解」ロジック
その答えが、予言の直前になって持ち出された、ある”ロジック”にあります。
それが、「予言をすると、その予言は外れる」というものです。
予言として口に出すことで、人々の注目がそっちに向いて、エネルギーが分散される……といった話だったと思います。
そして、その根拠として持ち出されたのが、関東大震災の話です。
関東大震災が起きるぞ、と街中に言いふらしていた男性が投獄された。
そして、実際に起きた。
その男性が、今度は「2回目の大震災が起きるぞ」と言いふらしたら、みんなが信じた。
でも、起きなかった。
だから、予言をすると外れる。
みんなの意識がそっちに向くと、起こらなくなる——と。
……は?
これ、当たっても外れても、どっちに転んでも正解になってしまうのです。
当たれば「予言どおり」。
外れれば「予言したから外れた」。
いわゆるダブルバインドです。
ある意味、2025年最大の発明だと思います、本当に(笑)。
問題は、根拠の薄さではなく「検証から逃げる構造」にある
ここまで来ると、問題の本当の姿が見えてきます。
根拠が薄いことよりも、もっと深刻なのは、どんな結果になっても検証されない仕組みをつくってしまっていることなのです。
中国大返しの考察であれば、「その根拠はおかしい」と反論できます。
でも、「当たっても外れても正解」という話には、反論のしようがありません。
反論できないということは、考える余地がないということ。
考える余地がない話は、聞いても何も残らないのです。
こういう小賢しいロジック、おもしろくないですよね。
予言が当たらないなら——
当たりませんでしたって、ただ言えばいいじゃないですか!!
そう思いませんか?
僕なんかは、どうせ起きないと思っていましたし、まともな人はたいていみんなそう思っていたはずです。
「でも、確かめようがないなら何を信じればいいの?」
ここまで読んで、こう思った方もいるかもしれません。
「でも、オカルトなんて結局どれも確かめようがない話でしょ?」
「だったら、何を信じればいいの?」
その疑問は、もっともだと思います。
確かめられないのは「答え」。確かめられるのは「筋道」
そこで、変えられないものと変えられるものを分けて考えてみます。
まず、変えられないもの。
それは、オカルトの多くが「答えを確かめようがない」ということです。
中国大返しの真相も、宇宙人がいるかどうかも、今すぐ白黒つけることはできません。
一方で、変えられるもの。
それは、「どんな根拠で、どんな筋道で、その結論に至ったのか」を示すことです。
答えは確かめられなくても、筋道は誰でも確かめられます。
そして、筋道が見えていれば、読み手は自分の頭で考えることができるのです。
むしろ、オカルトのおもしろさは本来そこにあるのではないでしょうか?
実際、ちゃんとした発信は支持されている
実際、僕が好きな発信者さんたちは、まさにこれをやっています。
都市伝説でも、歴史系でも、「こういう根拠があって、こういう考え方で、結論はこうです」とちゃんと言ってくれる。
僕は、ああいう感じが大好きなのです。
そして、同じように思っている人は少なくないようです。
人気オカルトYouTuberのコメント欄を見ていると、「昔のナオキマンを返してくれ」といったコメントが共感を集めていたりします。
僕はナオキマンさんのYouTubeをほとんど見ていないので、昔がどうだったかはわかりません。
ただ、おそらく同じようなことを感じている視聴者が多いのだろうと思っています。
つまり、視聴者は適当な話を求めているわけではないのです。
別にムカついているわけではないのです
誤解のないように言っておくと、僕は別にムカついて言っているわけではありません。
本当におもしろくないから、やるならもっとちゃんとやればいいのに、という感じなのです。
「オカルト専門家」を名乗るのであれば、当てるならちゃんと当ててほしい。
当てられないのであれば、せめて根拠と筋道を見せてほしい。
オカルト業界も、そういうふうになっていったらいいのではないかと思います。
僕たちが忘れてはいけないこと
そして、ここからは僕たち自身の話です。
これは、僕たちも絶対に忘れないようにしたいと思っています。
適当なことを言っていたら、視聴者は本当に飽きます。
「見る意味ないな」と思われてしまいます。
適当な話を聞いて「すごいことを聞いた!」と思うのは、小学生か、小学生ぐらいの思考回路しかない大人ぐらいです。
そういう人を集めても、しょうがないのです。
だから僕たちは、まともな根拠を出して、筋道を立てて解説していく。
それを、本っっっ気でやっていきたいと思っています。
もちろん、それが合っているか間違っているかはわかりません。
それでも、
「私はこういうふうに考えます」
そこにこそ、価値があるのです。

