苦しさの転換と人との出会いが深みに繋がる?


真一 「こんにちは片山真一です。

今日は富岡さんと一緒にお喋りしていきたいと思います。

質問があるというので、お答えしていきたいと思います。

よろしくお願いします。」

 

Kaori 「よろしくお願いします。」

 

真一 「それでは質問してください。」

 

Kaori 「はい、片山さんのホームページのブログを読ませていただいているのですけれども、毎回記事を読むたびに、どうしてこのように深い文章が書けるのだろうかと思っています。

今の片山さんになるまでの経緯や、なぜそこまでの重みが出せるのかを、ぜひお伺いしたいと思い質問させていただきました。」

 

真一 「そのテーマ面白いですね。分かりました。
なぜそういう発信になるのかということですよね。」

 

Kaori 「はい。」

 

真一 「今言った質問で深いというのはどの辺ですか?」

 

Kaori 「やっぱりこのブログの中に書かれている文章とか、人生をどう捉えているかという捉え方が若干人と違うっていう感じがあります。

 

 

これって多分いろんな経験してないと言えないような見方だなと思います。

 

 

例えば、
自分がめちゃめちゃ昔、苦しかった時に相手のせいにしてきたけど、今なら分かる。
それは自分が逃げたかったから』とかの表現です。

そういう視点の変え方ができることが、まず凄いなと思って読ませていただいています。」

 

真一 「わかりました。では、1個1個説明して行きます。

ポイントは2つあります。

 

1つは人との出会いと。
もう1つは苦しかった所からの転換です。

 

苦しいところから転換する時に、人との出会いがあるのです。
まず苦しい期間があったかがポイントだと思います。

どんなことがあったのかと言うと、例えば僕は母子家庭だったのです。

母子家庭は最近だとよくあるのですが、僕の時はまだ1クラスに1人いるかいないかぐらいの時だったのです。

なので、ちょっと理不尽に思うような嫌なこともあるのですよ。

 

例えば、学校で父の日に手紙書きましょうというのがありました。
僕は、お父さんいないから書けないのです。

 

先生に書きましょうと言われても、僕は筆が進まない。
そうするとちょっと注意されるのです。

 

書けないものは書けないし、お父さんいないとも言いにくいのです。
怒られっぱなしで、とても悲しかった。

 

本当は先生がケアするところだと思うのですが、先生も人間なので忘れていたりするのでしょうね。

仕方のない事でしょうが、子供の時は、なぜそのようなことを言うのだろうと思っていました。
そのようなことが時々あったりしました。

 

あと、母子家庭だから可哀想みたいな見方をされる時もあったりするのです。

そうすると別に自分が可哀想と思ってはいないのですが、すごく嫌な気持ちになるのです。

 

その他にもいろいろ経験してきました。

 

僕が15歳の時にお母さんが亡くなったのです。
それで僕には親がいなくなったのです。

15歳で親がいなくなるのは、結構無意識のうちに精神衛生上あんまりよくないのです。

普通に親がいると守られている感覚は、無意識のうちに持っているものなのです。

僕もお母さんがいた時は守られている感覚を意識はしてなかったけど、持っていたのです。

 

それはいなくなって初めて気がついたのです。
要は、絶対自分は1人じゃないっていう意識です。

 

最後はお母さんがいてくれるし、味方になってくれるという意識を持っているものなのです。
それがなくなってしまったのは、とても大きいことでした。

 

日々、安心感がないのです。

 

15歳の多感な時に安心感がない少年だったので、先ほど言った先生の嫌なことや、学校で理不尽な思いをして嫌なことがあった時は悲しくて仕方がないのです。

お母さんが居てくれると思っていたらなんとかなるのですが、いないと、自分の運命をだんだん呪い始めるのです。

 

なぜ自分ばかりがそのように辛い目に遭わなければいけないのか、なぜ誰もわかってくれないのかと、思うようになります。

周りを責め出して自分は悪くないという発想にだんだんなっていくのです。

もともと僕がやんちゃなタイプだったので、何でも好き放題やり始めるわけです。

それでも僕は不良少年ではなかったので、夜遊びして誰かを傷つけるとか、万引きするとかはなかったです。

バイクを盗むとかではなくて、ただ遊びたいからで、昼間遊んでいたら夜になっていただけの話なのです。

友達の家で遊んでいたら夜になって、帰りたくないからそのまま泊まって学校に行って、放課後また友達に行って帰りたくないから、友達の家からまた学校行って見たいな感じだったのです。

 

帰りたくないのは、ただ、遊びたかっただけです。

 

おばあちゃんの家でしっかり育ててもらっていたので、反抗心などでは無いです。

そのような日々を過ごして、とても自由であったということはいえます。

今まで誰にもまだ言っていない事ですが、お母さんが亡くなった時は、それはもちろん辛かったのですが、僕はお母さんが死ぬってことを意識していたのです。

 

ちの母さんは近い将来死ぬかもしれないってことを意識して生きていたのです。

 

小学校5年のときにうちのお母さんが病気になって以来、高校1年生までの5年間は、うちのお母さんは近い将来死ぬかもしれないと思って生きていたのです。

だから人よりも死ぬということにての意識があったと思います。

 

Kaori 「そうですね。そのような年で死に対する意識は無い人のほうが多いですね。」

 

真一 「今は人が死ぬということを自然と結構意識しています。

お母さん亡くなって、そこから1ヵ月後にさらに衝撃的な出来事が起きるのです。

僕にとっては、お母さんのことよりもそちらの方が衝撃は大きかったのです。

 

何かといえば、僕にいつも一緒に遊んでいた3つ上のお兄ちゃんがいたのです。

 

いとこのお兄ちゃんなのですが、家も近くて小さいときからずっと一緒に遊んでいたお兄ちゃんです。
その彼が交通事故で突然亡くなったのです。

 

前の日の晩も一緒にふざけあって遊んでいて翌朝にお兄ちゃんが仕事に出て行き、そのまま帰ってこなかったという感じでした。

 

ものすごく突然で、ものすごくショックでした。
病院に行ったら、もう死んでいるわけです。

 

お兄ちゃんの同級生もいっぱい来て、みんなとても泣いていました。
僕もたまらなくて号泣していました。

 

どうしてこんなに良い奴が死ぬのだろうかと、その時に思いました。

 

そのころの僕は多感なおセンチさんだったので、なんで自分ではないのかと思いました。

死ぬのだったら家族もいない恋人もいない何もない自分の方が死ぬのにふさわしいだろうと思っていた。」

 

 

Kaori 「なんとそんなことを考えていたのですか。」

 

真一 「20歳位まで思っていました。

お兄ちゃんには家族や恋人もいて、性格も良いのでみんなから愛されていたのです。

 

 

ぬのだったら、なぜ神は僕を選ばないのかということを考えていたのです。

 

 

なぜ、こんな試練を与えるのだろうかと思いました。

神がいるかいないかという議論はそこにはなくて、もう僕の中でいることになっていました。

 

 

15の時から、神はどんな存在なのか、死ぬとはどういうことなのか、生きるとは何なのか、人は何のために生まれてきたのだろうとか、僕に親がいなくなってしまったのにはどんな意味があるのだろう、なぜ母子家庭の家に生まれて来たのかなど、そのようなことをずっと考えていたのです。

 

 

大学に入ってからは沢山色々な本を読み、人より考える機会が多かったと思います。

 

Kaori 「そこですね、その頃から深く考えるようになったのですね。」

 

真一 「15からそんなことを考え始め28に、僕の中で人が生まれてくる理由に一応結論が出たのです。

意味など無いという人もいれば、使命を持って生まれてくるという人もいるのでどちらだろうとずっと考えていました。

 

意味が無いとしたら僕のお兄ちゃんには生まれてきた意味が無いという事になります。

 

もし使命があるとしたら、お兄ちゃんやお母さんが生まれてきたことにはどんな使命があったのだろうかとも考えました。

これから楽しいことがいっぱいあるまだ19歳で亡くなったお兄ちゃんにはどんな使命があったのだろうかなど沢山のことを考えたわけです。

 

沢山悩んだ結果、僕にはどんな使命があるのかないのかの結論が出たのが28ぐらいの時だと思います。

 

ランクル著の夜と霧という本を読んだのです。
アウシュビッツに収容された心理学者が書いた本です。

言葉通りではありませんが、人は生まれてきた意味を作るために生まれてきたみたいなことが書いてあったのです。

 

 

だから生まれてきた意味は、自分が死ぬ時に生まれてきた意味があったねと言われるような生き方をするということだと僕は解釈したのです。

 

 

自分で作れということだと思うのです、
逆に言えば意味がないという事なのです。

 

Kaori 「意味を作らない限りは意味がないということですね。」

 

真一 「作らない限りはあなたが生きた意味はないとも取れるではないですか。

そこがとても腑に落ちたのです。

世の中いろいろな人がいるから、もともと使命を持って生まれてきた人もきっといるのだと思うのですが、それがあるかないかは本人にわからないのです。

お告げが来て、あなたにはこんな使命がありますねと言われるのだったら別だけど、普通そんなことはない。

 

だから使命があるとかないとかは、どちらでも良いなと思ったのです。
とにかく生まれてきた意味があったと人に言われるような生き方をする。

 

使命があっても何もしなかったら意味がないし、使命がなくても生まれてきた意味があると思って死んでいけたら、それは意味があるのです。

 

だから使命があるかないかは脇に置いておいて、生まれてきた意味が僕にはあったと思って死んで行こうと思ったのがその頃です。

 

生まれてきた意味があったと思うためには、いかに人を喜ばすかだと思ったのです。

 

人数もそうだし、あとはインパクトです。
喜びの総量だと思っています。

 

ではどうやったらそれが出来るのかと言えば、行動だということなのです。

 

私は世界平和をしたいと言って、言っているだけでは何の意味もないのです。

あなたがいて良かったと言われるのは、美味しいお料理を出している料理屋さんの方が断然価値があるわけです。

 

だから行動しようと思ったのです。

 

どうやったら自分が生まれてきた価値を最大化できるのかと考えた時に、自分が得意なことを周りに伝えていくことだと思ったわけです。

それは中華料理が得意な人は中華料理でしょうし、子育てが得意な人は自分の子供を育てるというのもかなり価値が高いと思います。

僕で言うと、フリーランスみたいな働き方をして上手くいっていたので、それを伝えていくということだったのです。

 

だから今はそれをやっているのです。

なぜ僕の発信が、そういうふうなイメージなのかは、そういうことを人1倍考えたからだと思います。」

 

Kaori 「なるほど、そういうことだったのですね。」

 

真一 「闇から復活したというストーリーを1回経験していると、ある意味闇の自分を否定したことを踏まえて、光の方に闇を乗り越えて行くわけです。

 

だから、文章に深みが出るのだと思います。

 

自分が経験しないことで知識だけ学ぼうと思ったら本とか読んだら色々書いてあります。
言うだけ言っても深みは出てきません。」

 

Kaori 「知識だけ蓄積されているだけの人の文章はあまり深く感じませんね。」

 

真一 「深いと感じていただけているのは、僕の場合は経験があるからではないのかと思います。」

 

 

Kaori 「なるほど。幼少期からずっと死について考えたっていうところもそうですし、同時に苦しいことを経験してきたっていうのが深みを出している。」

 

 

真一 「闇から光に行くときに、このままじゃいけないなって自分を否定する必要が出てくるわけです。

その時に得た考え方が色々あるので、ブログで伝えたりするのです。

そこには経験があるからリアルなのです。」

 

Kaori 「とてもリアルです。」

真一 「そこが深みの原点のような気がします。」

 

 

Kaori 「やっぱりブログの記事に過去の体験談全部書いていただいているので、それゆえに読者の方もこの人の言葉には、経験を伴う重みがあると感じるわけだと思いました。」

真一 「そのように思っていただけたらありがたいですね。
失敗する経験やうまくいかない経験の方が、後からいいネタになるのです。」

 

Kaori 「そうですね。確かに。」

真一 「だからどんどん行動した方が良いのです。

kaoriさんも過食症でしたよね?
過食症を克服するまでにいろんな失敗してきたじゃないですか?

1個、1個がネタとしていいですよ。」

Kaori 「ネタの宝庫ですか(笑)

なぜそっちに行く!?っていう方向しかないのでしょう(笑)」

真一 「いろいろ苦しい経験するじゃないですか。
友達が離れていったりとかがあったかもしれないし、そういう時は友達を責めたりしますよね?」

Kaori 「うんうん、しますね。やっぱり。」

真一 「なんで私が悪いのみたいになるでしょ?」

Kaori 「悪いのはお前じゃんみたいなと思ったこともありますね。」

真一 「だけど、今になって振り返ってみると、やっぱり私も至らないところがあったかなと思ったりするでしょう。」

Kaori 「そう思いますね。」

真一 「そこの気づきが深みになるのですね。」

Kaori 「なるほど、確かに一生恨んだままじゃ成長しませんしね。」

真一 「過食症の克服する時も本読んだらいろんな情報が載っているじゃないですか。」

Kaori 「そうですね。」

真一 「でも過食症を経験してないと、それはただのペラペラの知識なのです。」

Kaori 「読んでいてなぜかだんだんイライラしてきますね。お前に何がわかるって感じになるんです。(笑)」

真一 「でも経験しているからこそ響くわけです。
どんどん経験した方がいい。」

Kaori 「もう過食症を経験するのは、ちょっと(汗)
次に経験するのはなんでしょうね?」

真一 「多分、放っておいいても経験するように出来ていますよ。」

Kaori 「今ちょっと横ばいになっているだけでまた来るのだと思います。」

 

真一 「そうだと思いますよ。」

Kaori 「はい、ちょっと休憩中ですね。」

真一 「休憩も必要なので」

Kaori 「本当に休憩したいですね。」

真一 「良かったですね。小休止ができて。」

Kaori 「今だけ楽しみたいと思います。」

真一 「今回はこのような事でよろしいでしょうか。」

Kaori 「はい。ありがとうございました!」

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